居合道
兵法 二天一流とは
兵法 二天一流とは
居合道とは、古武道の居合術を現代武道化したものである。(Wikipediaより)
居合道とは
出羽の国楯岡(現・山形県村山市)の住人、林崎甚助重信が弘治二年(1556)に父の仇討のため林崎神社に参篭し、満願の夜に霊夢にて「袈裟の一太刀」を授けられ発想したといわれている。
居合道とは、剣術・剣道の「立ち合い」に対して、座位・歩行の位置から敵の動きに居合わせて抜き付け、鞘離れの一刀で敵を制するものである。居合道の基本的な業は、横抜き、縦抜き、袈裟切り、突きによって形成されており、これらを総称して「斬突七法(斬法四法、突法三法)」と言われている。居合は相手の居ない組太刀とも言われ、仮想の敵に対して先の先、または後の先による攻撃・防御のための気・剣・体一致の体捌きである。
居合道の道歌に「居合とは人に斬られず 人斬らず 只受けとめて平らかに勝」 とあるように刀を抜かずに勝つことが至極である。即ち、刀を抜く前に「気」で敵を圧し、それでもなお従わなければ「詮方なく袈裟打ちかけて成仏せしめよ」と言われる。つまり、人を殺す殺人剣ではなく、人を生かす活人剣であり、自らの心の中にこそ敵がいる、その敵に勝つことこそ真の目的であり、刀を使っての精神修養のひとつである。居合道が「鞘の内」と言われる所以である。
兵法 二天一流とは
「兵法二天一流(ひょうほうにてんいちりゅう)」は、「宮本武蔵」により開かれた剣術であり、元は「円明流」と称され、「二天」の名前は、宮本武蔵の号であり、自らを二天道楽とも言っていた。そして、「二天一流」の名称を表したのは「五輪の書、地の巻」の冒頭に「兵法之道、二天一流と號し、数年鍛錬之事、・・・・」とある。
天正10年(1582年)、本能寺の変で織田信長が討たれた年に生まれた武蔵は、慶長10年(1605年)京都の一条下り松での吉岡一門との闘いの後、養父無二斎直伝の当理流に独自の工夫を加え「円明流」を名乗った。吉岡一門との戦いで、一人対多勢の状況下、二刀を使用しており、円明流においても基本は「二刀勢法」であり、「二天一流」においても「二刀勢法」が基本となっております。また武蔵は「他流に、太刀かず多きこと」と言っており、剣の道は切ることと突くことに集約されるとし、「兵法二天一流」においては、「二刀勢法五本」、「小太刀勢法七本」、「太刀勢法十二本」で成り立っております。
京都市武道センター 旧武徳殿にて開催された
「全日本剣道演武大会」の各種形の部で親子で演武した「二刀勢法」と「一刀勢法」の動画です。